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名古屋国際会議場のサステナブルな取り組み

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愛知工業大学名電高等学校 吹奏楽部顧問 遠山 翔大さん

次世代へ伝える地元の魅力 老舗蒲鉾屋6代目 大矢蒲鉾商店 大矢 晃敬さん
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今回は吹奏楽部の名門、愛知工業大学名電高等学校(以降、名電高校)で
顧問を務める 遠山 翔大さんをインタビューしました。
楽器未経験から高校で吹奏楽に目覚め、母校に顧問として戻ってこられた遠山先生。
原点となった高校時代のこと、教師となった今の想いをたくさん話して頂きました。

私の人生を変えた出会い

遠山先生が音楽を始めたきっかけを教えて下さい。

小学生の頃はスポーツが大好きで、柔道、水泳、野球、サッカー等、体を動かすことは何でもやっていましたが、中学校に入ってから足を怪我した事を機に、音楽の先生から「歌なら手足を使わなくても出来るからやってみない?」と合唱部を勧められたことが音楽を始めたきっかけです。それまで一人でプレーする競技が多かったため、合唱部で仲間と共に声を合わせて歌う事はすごく新鮮で「音楽って面白いじゃん!」と次第に没頭するようになりました。

高校進学の時もこのまま合唱を続けようかと考えました。でもせっかく音楽に出会ったので楽器にも触れてみたいと思い、当時の音楽の先生に「楽器をやるならどの高校が良いですか?」と聞いたんです。そうしたら「名電高校!」と言われたので、そのまま入学することを決めました。

名電高校の吹奏楽部は強豪校として知られていますが、同級生には経験者も多かったのではないでしょうか。

私自身は中学校の先生に聞くまで名電高校吹奏楽部のことを全く知らなかったので、入学してから衝撃を受けました。というのも、私は4月に入学してから入部届を持って部室に足を運んだのですが、同級生のほとんどは小中学校から楽器を経験していて、名電で吹奏楽がやりたくて来ている人ばかりでした。入学前の3月から体験入部に来る人も多かったようです。

一方、自分は音楽の授業でリコーダーとピアニカくらいしか楽器に触れた事がなかったですし、どの楽器が何の音かも分からないほどの未経験者でした。

そんな私が、当時から顧問だった伊藤先生にどの楽器が良いか相談したところ、勧められたのがファゴットでした。ファゴットは1学年に1人いるかいないかのパートだったので、高校から始めた私でも焦らず自分のペースで続けることが出来たと思います。今思うと、サックスやクラリネットという経験者が多い楽器を始めていたらどうなっていたか・・・。ファゴットだったから3年間ゆっくりと自信をもって取り組めたんだと思います。

ファゴットとの出会いは運命的だったのですね。音色もお好きですか?

好きですね。ファゴットの魅力は、人間の声に近い音域なので、まるで歌を歌っているように馴染んで音を出せることです。合唱をしていた自分にはぴったりだと感じました。もし今、入部当時に返って楽器を選ぶとしても、またファゴットを選ぶと思います。

繋げたかった“隣の人と音楽を楽しむ”場所

遠山先生が学生だった頃の吹奏楽部はどのような場所でしたか。

強豪校となると、全国大会へ出て金賞を取る事を大前提に活動すると思いますが、名電高校では“絆”をテーマに「隣の人を大切に、心を一つにして皆で音楽を楽しむこと」を重視していました。これは今も変わってないですね。ピリピリした空気感なら、多分自分も途中で潰れていたと思います。

3年生の時は部長も務められたそうですね。

そうなんです。2年生の2月に部員からの投票で選んでもらいました。
私は吹奏楽歴が長いわけでも、特別上手なわけでもありません。ただコミュニケーションを取ることは大切にしていて、先輩後輩関係なく誰にでも話しかけていたので、名前を挙げてもらえたのかなと思っています。

“隣の人を大切にして、心を一つに音を出す”という部活だからこそ、遠山先生が部長に選ばれたのは必然のように感じますね。

どうでしょうか。ただ、高校時代最後の演奏会の後、伊藤先生から「遠山のおかげで温かくて良いチームになった」と声をかけてもらい抱擁を交わした瞬間は今でも印象に残っています。

吹奏楽と共に駆け抜けた高校時代は、人生の原点になったのですね。

そう思います。私は人から教えてもらったことを、次の人へ伝える事で今まで受けた恩を返したいという想いがあります。将来は教師になって名電高校でいただいた恩を返したいと考えていました。いつか自分がどこかで部活動の顧問をするならこんな雰囲気にしたいな、と漠然と考えたことはありました。まさか母校で教える日が来るとは、当時は微塵も思っていませんでしたが(笑)

高校卒業後は音大に進学されたのですか?

いいえ、大学では歴史学を専攻していました。ただし大学でも吹奏楽部に入って音楽は続けていました。大学の吹奏楽部は中学校や高校の時とはガラリと雰囲気が変わり、いわゆる“個人プレー”という感じで練習にも全員が集まった試しがなかったです。これでは私の思う吹奏楽の醍醐味が感じられないなと思い、アピールをしましたが思うようにいかない、といった悶々とする日々を1年、また1年と過ごしていました。

風向きが変わったのは3年の時でした。私が団長に選ばれたとき、最初に皆を集めてミーティングをしたんです。そこで「せっかく吹奏楽をやるなら、やって良かったって思うものを皆で残したくない?」と自分の想いをぶつけ、「それなら高いレベルを目指してもっと練習がんばらないとね」と皆で話し合いました。その日を境に部内の空気が変わり、練習が週3日から4日に増え、休む人もほとんどいなくなりました。その年は県大会で金賞を獲得し県代表になり東海大会に進むことができました。これは例年では考えられない快挙でしたね。

ガツガツしなくとも“皆が繋がりを持って取り組めば結果は自然とついてくる”という事を高校時代から何となく思っていましたが、自分で動かしてみてそれが確信に変わった瞬間でした。

再び降り立ったステージに生徒を送り出すことへの責務

大学卒業後は教師として名電高校に戻られることになりましたが、その時の心境はいかがでしたか?

正直なところ、卒業生で名電高校吹奏楽部がどういう場所なのかを知っているため、はじめは顧問という立場で上手くやっていけるイメージが湧きませんでした。あんな伝統ある大所帯の部活動を、大学を出たばかりで指導経験もない自分が出来るものなのかと。しかし母校だからこそ、教わったことを返していける、恩返しができるという想いもあったので、最終的には「やらせてください」と扉をたたく決断をしました。

思い返せば部長として臨んだ高校3年生最後の定期演奏会の日、もう二度とセンチュリーホールが満席になった光景を舞台から見ることはないと思い、目に焼き付けようと観客席を見つめていました。それなのに、4年後に指揮者として再びステージに立った時に「あ、同じ光景に戻ってきた」と(笑)これからもこの景色を見れるんだというのが嬉しく楽しみな気持ちと、立場が変わって身が引き締まる気持ちが混ざって、今でも不思議としか言いようがない感覚でした。

名古屋国際会議場センチュリーホールは、私にとってはホームグラウンドのような存在です。そんな場所に戻ってきたことへの喜びと、一方で“吹奏楽の聖地”に、これから何十年と生徒たちを立たせていくことへの責任や重みを感じました。伊藤先生が長い間築き上げてきたものを、今後は自分が背負っていくことへのプレッシャーもあります。

遠山先生はまだ26歳ということですが、今まで伊藤先生たちが作り上げた吹奏楽部を、これから引っ張っていく存在となるのですね。

伊藤先生の教えや仲間と共に過ごした日々は、今の教員生活での指導の道標になっています。高校時代、伊藤先生からは「こうしなさい」と言われたことがなく、「遠山はどう思う?」と聞いて、自主的にこうしよう、ああしようと考えていくことが出来る環境を作ってくださりました。
伊藤先生のように”生徒”と“教師”としてではなく、同じ吹奏楽の道を歩く“人間”と“人間“という感覚で接して、生徒と一緒に吹奏楽部を作り上げていきたいです。

また私は普段は社会科の授業を担当していますが、そこでも知識だけを一方的に教えるような講義をするのではなく、生徒が「どう思ったか?」を知りたいと思いコミュニケーションを大切にしています。私からの質問が多いのでなかなか前に進まないというのがデメリットなんですけど(笑)ただ座って聞いてもらう授業より”生徒と一緒に作っていく授業“の方が良いと思っています。生徒たちからは話が面白いと言われることが多くて嬉しいです。

ジャンルを超えた音楽の響きを名古屋から

生徒から教師へと立場が変わり、苦労されたことはありますか?

就任1年目に、当時3年生の生徒から「遠山先生に何がわかるんだ!」と言われてしまったことがあります。自分では偉そうに見られないよう気に掛けて接しているつもりでしたが、立場が変わると生徒からの見え方は違うのかもしれないと気づき、意識を変えるきっかけになりました。

あと出来るだけたくさん褒めることを心がけています。吹奏楽の練習では、お互いに褒め合うという事が意外と少ない気がしています。高みを目指す上では必要な部分でもありますが、私は昨日できなかった事が今日出来るようになった時はちゃんと言葉にし、出来る限り「良くなった事」と「もっと良くなること」を両方伝えるようにしています。

最後に、今後やってみたいことはありますか?

私はジャンルに関わらず音楽が好きなので、例えば合唱と吹奏楽とか、もっとジャンルを問わず繋がりがあると良いなと感じます。機会があれば「音楽が溢れて鳴りやまない1日」といったイベントをつくることに関われると良いです。
名古屋でずっと育ってきて、大好きな吹奏楽や名電高校に出会えたから今の自分がいる。その恩を大切にして“名古屋飛ばし”ではなく“名古屋から生まれ、広がる文化”を創り、次へ繋いでいきたいです。

インタビュー後日談 
5TH CHRISTMAS CONCERT 2021の舞台裏

2021年12月23日、名古屋国際会議場の自主事業として名電高等学校吹奏楽部によるクリスマスコンサートを開催しました。
今回で5回目となる当コンサートは、誰もが知っているクラシックの名曲やこの時期にピッタリのクリスマスソングを中心に、小さいお子様からご年配の方まで楽しめる内容になっています。

遠山先生は当日に向けて、学校で生徒たちと猛練習をするかたわら、当館のスタッフとも何度も打合せを重ねてこられました。当日は舞台の設営や開演準備に朝から奔走し、本番をそっと舞台の袖から見守っておられました。

時が移ろっても色褪せない名曲のように、遠山先生と名電高校吹奏楽部は挑戦を繰り返しながら、多くの観客の心に響く音色を変わらず届け続けていくのだと思います。

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